2008年11月24日

開化天皇の謎

出口王仁三郎が謎のような言葉を残している




「神武天皇というのは神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)より今上昭和天皇までのことである」




「昭和神聖会」の前身ともいうべき「昭和青年会」。王仁三郎は「昭和青年会」は開化天皇の活動である、とも語っている。



王仁三郎の側近・木庭次守によれば、「平成の今上天皇から開化天皇の時代に入った」ということなのだが、これも謎。




<開化天皇>(ウィキペディア)


注目すべきは、開化天皇の皇后(第一夫人)は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)であり、物部氏であること。そもそも名前からして「謎」w


(ちなみに伊香色謎命は、開化天皇の父である先代の孝元天皇の妃(第二夫人)でもある・・・謎。)


また、開化天皇の生母は、孝元天皇の皇后である欝色謎命(うつしこめのみこと)で、こちらも物部氏系。


で、開化天皇と伊香色謎命の間にできた皇子が次代の崇神天皇。


崇神天皇は尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)を妃とする。


尾張大海媛は大海姫命(おおあまひめのみこと)とも。海部・尾張氏系。


元伊勢、籠神社、舞鶴。


→ <同殿同床>



つまり伊勢神宮って・・・・



ま、私が語りたいのは現在進行形のことですけど。



少なくとも、皇后陛下や皇太子妃殿下が重要な儀式・祭祀に「列席」するようになったのは、明治政府が西洋諸国の真似をしはじめてからではないでしょうか?w




『チーズはどこへ消えた?』wじゃなくて『物部氏は(蘇我氏も)どこへ消えた?』とかw

posted by 悲しき秀才 at 22:12| Comment(1) | 出口王仁三郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
王仁三郎も不思議ですが、
木庭次守の言葉もかなり不思議ですね。
外野の知らない裏の裏もご存知だったんでしょうね。
京都ではずっと「公家の親分」ってスタンスで、
明治以降のアラヒトガミ信仰は急ごしらえだと思ってましたが、
これが本来の姿なんでしょうか。
それに加えて、即位の礼で「バンザァーイ」してた
海部首相の事も思い出しました。

それから勝手に書き込んでおいて、なんなんですが、
2008年10月02日の「御徒町・・・」に書き込んだコメントを
削除して頂けたらうれしいのですが…
そんな大層なコメントってわけでもありませんが、
なんとなく気になってしまったので。
でもそのおかげで「荻外荘」の情報を得られたのはラッキーでした。
お手数ですが、なにとぞよろしくお願いします。
Posted by EQUALJAPAN at 2008年11月25日 20:41
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