2008年09月20日

反日のゆくえ その2

「アカマツ」、それは「三條苑」に続くキーワード・・・

<赤松良子>(ウィキペディアより抜粋)

・赤松 良子(あかまつ りょうこ、昭和4年(1929年)8月24日 - )は、日本の官僚、政治家。労働省婦人局長時代、男女雇用機会均等法制定の中核となった。細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めた。守護大名赤松氏に連なる家系である。


・労働省時代

昭和54年(1979年)、国連日本政府代表部公使に任命される。国連公使として女子差別撤廃条約に賛成の投票を行う。同条約に署名したことで日本は国内法整備が課題となった。昭和57年(1982年)、労働省婦人少年局長に就任し、男女雇用機会均等法の立案に当たる。翌昭和58年(1983年)労働省の組織改編に伴い、初代婦人局長に就任。昭和60年(1985年)男女雇用機会均等法が制定される。

昭和61年(1986年)駐ウルグアイ大使に任命される。昭和63年(1989年)に帰国し、女性職業財団会長、国際女性の地位教会会長、文京女子大学教授などの職を務める。


・文部大臣
平成5年(1993年)細川内閣の文部大臣に就任。非自民連立政権にあって、文教行政に関して、非政治性、非宗教性が強く求められたことや女性、民間人の積極登用の目的で赤松に白羽の矢が立った。文相に就任した早々、高校野球における丸刈りの強制に反対した他、公務員の結婚後の通称使用、教科書検定の公開、国立大学施設費の予算増額などを検討した。平成6年(1994年)、細川内閣が総辞職後、次の羽田内閣にも留任した。羽田内閣は2ヶ月で総辞職を余儀なくされ、赤松も文相を辞任した。

平成15年(2003年)11月3日旭日大綬章を受章した。

国際女性の地位協会10周年を記念して、「赤松良子賞」が設けられた。

・外部リンク
* 女性政治家、女性候補者を資金面で支援〜WIN WIN ウィンウィン(赤松が代表)



・・・おっと、何故か大事な外部リンクが抜けてますね、ウィキペディア。





<日本ユニセフ協会からのお知らせ>
(財)日本ユニセフ協会に初の女性会長
元文部大臣 赤松良子(あかまつりょうこ)氏を選任
【2008年6月13日 東京発】

財団法人日本ユニセフ協会(東京都港区)は、本日(13日)開催された理事会で、元文部大臣で駐ウルグアイ大使も務めた赤松良子氏を会長に選任しました。

赤松氏は、昭和30年の(財)日本ユニセフ協会創立以来、初めての女性会長。前任の澄田智氏(元日銀総裁)は高齢を理由に2月末に退任しています。

赤松氏は、大阪府出身。昭和28年労働省入省、同57年婦人少年局長、同59年婦人局長を歴任し、この間男女雇用機会均等法の成立に中心的役割を果たしました。また、昭和54年に国連代表部公使、同56年には特命全権公使を務め、同61年には駐ウルグアイ大使に就任。平成5年〜6年にかけ、細川・羽田両内閣で文部大臣を務めました。

平成元年以来、大臣就任期間中を除き、(財)日本ユニセフ協会理事、常務理事を務めています。



つーか、赤松氏の会長就任からすでに3ヶ月以上もたってるのに、ウィキペディア<日本ユニセフ協会>の項目は
代表者 会長代行:東郷良尚副会長(前専務理事)

のまま・・・



<ホテル三條苑の雅子様>(日本アンチキムチ団殿)



ところで、赤松氏といえば、映画『ベアテの贈りもの』。





<ベアテ・シロタ・ゴードン>(ウィキペディア)

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon, 1923年10月25日 - )は、ウィーン生まれでユダヤ系ウクライナ人(ロシア統治時代)の父母を持ち、少女時代に日本で育った米国国籍の舞台芸術監督、フェミニスト。

22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草で人権条項作成に関与した。 日本では憲法24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった。戦後はニューヨークに居を構え、ジャパン・ソサエティ、アジア・ソサエティのプロデューサー・ディレクターとして世界の民俗芸能を米国に紹介。アジア・ソサエティを退職後、現在はパフォーミング・アーティストを集めて世界中を公演するキャラバン(文化交流事業)の実現を目指している。




<映画『ベアテの贈りもの』>(同)

記録映画『ベアテの贈りもの The Gift from Beate』は、2002年暮れのクリスマスの夜、赤松良子(元労働大臣・文部大臣)や元ソニー社員・落合良らが「ベアテも八十を過ぎた。彼女が生きているうちに映画でも作りたいね」と雑談していた際、居合わせた岩波ホール総支配人・高野悦子が、映画は作ろうと思えば作れると即答したのがきっかけとなり、全国に呼びかけて製作された。・・・




関係ないけど、イスラエルって国には憲法(成文憲法)自体が存在しない件・・・www



ところで、ガイシュツですけど、赤松氏の人物評。


<上つ方の実態>(「さるさる日記 - 龍宮城と現代の落差にビックリ」2007/08/31)
小谷野敦がブログで興味深いことを書いてゐるhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070830

ノンフィクション作家・山崎朋子は、若い頃ファッションモデルをしていて、男によって顔に七ヶ所の傷をつけられるという事件にあっている。傷は残り

後年、さる女性問題の会議に山崎が出席していた時、さる名門の出身でキャリアもある地位の高い女性が、その顔の傷に手を触れながら、「あら、いつもは化粧で隠しているのね」などと言った上、山崎が髪を垂らしている反対側の頬も髪をのけてみて、「髪で隠しているからこっちにもあるのかと思ったわ」などと言った

向こうのほうで樋口恵子が、こわばった顔でそれを見ていた

赤松に全然悪意がなかったことは、その記述から分かる。むしろ赤松の「天然ボケ」ぶりを如実に示したエピソード

東大法学部卒の外交官といったキャリア抜きには、この天然ぶりはありえない

戦国大名赤松氏の流れを汲む、などというところもまた、天然である。何しろ赤松は関が原の時に滅亡しているのだから

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赤松良子は画家の父に溺愛され、津田塾、東大法と進んで労働省キャリア官僚になった、女のキャリア官僚の草分け的存在の一人である

男女雇用機会均等法を導入した牽引車でもあり、ウルグアイ大使を務めた後は、文部大臣に抜擢。結婚後の通称使用や教科書検定の公開、高校野球選手の丸刈り強制に反対、といったリベラルな発言や行動が多い

当然、山崎朋子の記した人身売買で東南アジアに渡り、月経が始まる前から売春をさせられた少女達の人生にも義憤を持つタイプであらう

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一方で赤松は若いときに病気で学校を退学せざるを得なかったといふ挫折があるが、基本的に苦労人では無いし、世間知らずでもある。ジャーナリストの樋口恵子とは対照的だ

だからこそ悪気無く、一般人的感性を持つ樋口の顔が強張るやうな、トンデモをしてしまふのだ

@@

一般的にリベラルな人っていふのはインテリに多い。インテリは本を読んだり物事を考へたりする時間的経済的余裕が無ければナカナカなれない。だから思ひっきり貧乏、といふ人は少ない

どちらかといふと世間知らずのお育ちの良い人に偏る

つまりインテリの弱点は世間知らずで人間の悪意や屈辱といった存在に無頓着なところ。だからさうしたところを押さへるのが上手い保守系よりもリベラル系は軒並みダメなのである


・・・上記引用のリンク、小谷野敦センセイ<猫を償うに猫をもってせよ>の元記事は何故か削除されてしまっているようですので、この話がどこまで本当かわかりませんが、さもありなん、という感じでしょうか。



・・・ということで、個人的にはフェミ系とナノゼリ方面の今後の連関に注目していますw



魔除けグッズ↓






追加:

ニッポン人脈記「女が働く」 (朝日:2005/04/25〜夕刊)


・魔除け動画(静止画)
Sexual harassment in the workplace -Zappa (YouTube)


posted by 悲しき秀才 at 14:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど。少子高齢化の戦犯の天然と非モテの確信犯の関係性はとても示唆がおおいですね。勉強になりました。
Posted by at 2013年02月24日 22:35
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